2017/04/07 (Fri)

最上義光記念館で「鐵の美2017」刀剣展

mogamikatana.jpg
鐵(くろがね)の美2017展が7月19日まで山形市の最上義光記念館で開催されています。最上義光と関わりある10振はじめ
庄内観音寺(現酒田市)出身の池田一秀、鎌倉から室町時代に活躍した月山刀工、黒田官兵衞の孫忠之が家康・秀忠から拝領した重要美術品の短刀などが展示されています。写真は山形新聞4月掲載記事。

2017/03/31 (Fri)

刀と日本語ー日本語と刀の関係がおもしろい。

刀から生まれた日本の言葉、「刀と日本語」調所一郎著が里文出版から刊行されました。
「切羽つまる」 「切羽つまる」「横やり」など一般的な日本語と刀の関係がおもしろい。
序文は徳川家広氏(徳川御宗家18代当主徳川恒孝氏ご嫡男)
「刀と日本語によせて」細川護光氏(細川家18代当主細川護煕氏ご嫡男)
著者は調所一郎氏(ご先祖は調所広郷薩摩藩家老)
tatara3065.jpg

2017/03/31 (Fri)

モントリオール世界映画祭で最優秀芸術賞受賞映画「たたら侍」 5月20日公開

島根の日刀保たたらを運営している日本美術刀剣保存協会が協力してつくられた映画「たたら侍」がいよいよ5月20日に全国公開されます。第40回モントリオール世界映画祭で、ワールド・コンペテション部門で最優秀芸術賞を受賞しました。
監督は錦織良成監督、エグゼクテプ・プロデューサー EXILE HIRO、tatara3064.jpg
tatara3063.jpg

2017/02/21 (Tue)

庄内支部刀剣鑑賞会&新年会

 2月19日午前11時から刀剣鑑賞会18名、参加その後芭蕉を慶応義塾大学先端生命科学研究所内の百間堀に会場を移して新年会を開催しました。
DSC_0526.jpg

2017/02/21 (Tue)

吉光の伝来

大いに話題になった重要文化財 短刀 吉光の伝来について下記「重要文化財短刀吉光の傳来」(抄)と題した酒井忠治の一文を紹介します。(歳計)


反り無し 目釘穴3
銘 吉光 表粟田口吉光   短刀   財団法人致道博物館蔵
長さ8寸2分5厘  裏護摩箸 名物信濃藤四郎
昭和25年8月重要文化財に指定
拵 1.柄   塗鮫
  2.縁頭  角
  3.目貫  赤銅茄子(宗乗作)
  4.鞘   黒


昭和26年に「吉光」の刀の附札があるものを発見した。それは小さい紙片で次の様に記してある。
信濃藤四郎 代金参百枚
永井信濃守指上ル 松平肥前殿拝領
其のご酒井宮内様御めし被成候
yosimitu3.jpg


これによって見ると、信濃守が何かの祝いのおりに、2代将軍秀忠にこの刀を献上し、後
松平肥前守が将軍より拝領したものであろう。松平肥前は鍋島勝茂の二男(後に松平)忠直のことである。当時の例として叙爵の時、刀を賜ったらしい。
「忠直、父に先立って卒しければ、嫡孫光茂 家を継ぎ、慶安元年元服し、御家号、御諱字を賜り、従四位下に叙し、丹後守に任ず。御刀を賜う。(中略)其の子信濃守綱茂、寛文七年元服して御諱字を賜い、従四位下に叙す。御刀を賜うこと例の如し」(藩翰譜)
とあるから、忠直が叙爵の時拝領したものであろう。そして其の後酒井宮内大輔忠勝(三代)に伝わったものと考えられるのである。

忠勝に伝わったということの貴重な記録として、やはり昨年次のごとき文書を見いだすことができた。
信濃藤四郎吉光之御脇差代判金
四百参拾枚者小判参千貳百拾五両
御請取相済申候 則御脇指御主方へ急度進上可仕候 爲後日一札如
此に御座候以上
寛永拾参子          本阿彌三郎兵衛
九月廿七日
                     忠利  印  花押
               同   十郎兵衛
                         印  花押
酒井宮内様御内
  吉田甚右衛門殿
  犬塚又左衛門殿
     yosimitu2.jpg


これによって忠勝が本阿彌三郎兵衛を通じて松平肥前守より譲り受けたことはほぼ確実である。次に忠勝が譲り受けて後 寛永十九年に、本阿彌家では又々この刀を酒井家より借り受けいろいろと詮議している。即ち
吉光御脇指吟味仕相済申候節本阿彌三郎兵衛申聞候口上之覚
吉光御脇指名物之御道具に御座候故同名共と度々一覧仕相談之上
五百枚に仕候 大事之御道具に付再覧に手間を取延引仕候
此旨可然様に御序を以申上候様にと三郎兵衛申上候以上

 十二月十四日
 yosimitu1.jpg

これは前掲の文書と共に、この刀の由来を知る上に興味あるものと思う。
以上数項にわたって考証を述べてきたが、要するに本阿彌三郎兵衛の書状が今日までのところ、一番確実なものであろう。それで三代忠勝の時より酒井家に伝わったものという結論をつけたい。しかし、後日にそれ以上の資料が発見されるかもしれない。それを期待してひとまず擱筆する次第である。