2017/02/21 (Tue)

吉光の伝来

大いに話題になった重要文化財 短刀 吉光の伝来について下記「重要文化財短刀吉光の傳来」(抄)と題した酒井忠治の一文を紹介します。(歳計)


反り無し 目釘穴3
銘 吉光 表粟田口吉光   短刀   財団法人致道博物館蔵
長さ8寸2分5厘  裏護摩箸 名物信濃藤四郎
昭和25年8月重要文化財に指定
拵 1.柄   塗鮫
  2.縁頭  角
  3.目貫  赤銅茄子(宗乗作)
  4.鞘   黒


昭和26年に「吉光」の刀の附札があるものを発見した。それは小さい紙片で次の様に記してある。
信濃藤四郎 代金参百枚
永井信濃守指上ル 松平肥前殿拝領
其のご酒井宮内様御めし被成候
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これによって見ると、信濃守が何かの祝いのおりに、2代将軍秀忠にこの刀を献上し、後
松平肥前守が将軍より拝領したものであろう。松平肥前は鍋島勝茂の二男(後に松平)忠直のことである。当時の例として叙爵の時、刀を賜ったらしい。
「忠直、父に先立って卒しければ、嫡孫光茂 家を継ぎ、慶安元年元服し、御家号、御諱字を賜り、従四位下に叙し、丹後守に任ず。御刀を賜う。(中略)其の子信濃守綱茂、寛文七年元服して御諱字を賜い、従四位下に叙す。御刀を賜うこと例の如し」(藩翰譜)
とあるから、忠直が叙爵の時拝領したものであろう。そして其の後酒井宮内大輔忠勝(三代)に伝わったものと考えられるのである。

忠勝に伝わったということの貴重な記録として、やはり昨年次のごとき文書を見いだすことができた。
信濃藤四郎吉光之御脇差代判金
四百参拾枚者小判参千貳百拾五両
御請取相済申候 則御脇指御主方へ急度進上可仕候 爲後日一札如
此に御座候以上
寛永拾参子          本阿彌三郎兵衛
九月廿七日
                     忠利  印  花押
               同   十郎兵衛
                         印  花押
酒井宮内様御内
  吉田甚右衛門殿
  犬塚又左衛門殿
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これによって忠勝が本阿彌三郎兵衛を通じて松平肥前守より譲り受けたことはほぼ確実である。次に忠勝が譲り受けて後 寛永十九年に、本阿彌家では又々この刀を酒井家より借り受けいろいろと詮議している。即ち
吉光御脇指吟味仕相済申候節本阿彌三郎兵衛申聞候口上之覚
吉光御脇指名物之御道具に御座候故同名共と度々一覧仕相談之上
五百枚に仕候 大事之御道具に付再覧に手間を取延引仕候
此旨可然様に御序を以申上候様にと三郎兵衛申上候以上

 十二月十四日
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これは前掲の文書と共に、この刀の由来を知る上に興味あるものと思う。
以上数項にわたって考証を述べてきたが、要するに本阿彌三郎兵衛の書状が今日までのところ、一番確実なものであろう。それで三代忠勝の時より酒井家に伝わったものという結論をつけたい。しかし、後日にそれ以上の資料が発見されるかもしれない。それを期待してひとまず擱筆する次第である。

2016/08/18 (Thu)

「日本刀の美術館を開いた森政雄さん」

 2016年8月17日付山形新聞「この人」に富山に日本刀の美術館を開いた森政雄さん と記事が掲載されました。
日本美術刀剣保存協会の評議員会議長さんでもあり、刀を愛する有志の会の会長さんであります。昨年8月有志の会の観賞会を盛会裡に鶴岡で催行できましたのも森会長さんのおかげ、たいへんお世話になりました。ありがとうございました。以下は記事内容です。
 「国内有数の刀剣コレクションを展示する森記念秋水美術館(富山市)を6月に開館、館長を務める。
 国の重要文化財「虎徹」をはじめ、集めた刀は約200本に及ぶ。友人に「一人で楽しんでいないで多くの人に見てもらったら」と勧められ、名刀を意味する「秋水」を美術館の名に冠した。1945年空襲で富山市の自宅が焼け、父の形見だった刀を失った。「子どもでわからなかったが、どんな刀だったのだろう、すごく惜しいことをしたんじゃないかとずっと気になっていた」薬学を学び、医薬品会社リードケミカルを設立。
 経営が軌道に乗った70年ごろから収集に乗り出した。「何でもいいから2,3本持ってこい、と骨董店に言ってね」刀身に浮かぶ、薄い鉄の層でできた繊細な模様。すぐに「鉄の風情」「に夢中になった。中でも出会った瞬間が忘れられないのは古備前の刀匠「友成」の一振りだ。「平安時代の素朴な鉄の力を感じた。技巧的な作りではないが、シルエットがとにかく優雅で。」その日のうちに購入を決めた。
 本業の医薬と二刀流での研究だ。「どんな炭素の配合で、どの産地の鉄なのか。縦と横、それぞれ何回打った模様なのか。刀の鑑定に理系の分析力が役立ったんです」と振り返る。天下の名刀はもう探し尽くされたのでは。そうぶつけると「良い刀は今の若い人の作品でも買います。誰かが買って批評してあげないと現代刀工は育たないから」。刀集めと社業で「休日はない」と苦笑する。」
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2016/03/07 (Mon)

庄内金工の話

昭和40年7月24日から8月6日まで庄内金工展が酒田市の本間美術館において、鐔88点、小柄等11点、縁頭等19点、拵等7点、参考出品絵画等15点の出品により庄内支部と山形新聞社の後援で開催されました。
はじめに佐藤貫一先生が「庄内金工の話」として寄稿されています。
 荘内金工は、江戸時代中葉以後の金工史に燦然たる光彩を放っている。それは古今の名工と称せられる土屋安親の存在によるものである。
 荘内鐔の歴史を語る場合、まず、第一に挙げられるものは、羽黒の数珠鐔である。これは鉄地に数珠玉模様を地透かし彫にしたもので、一見数珠の輪のようなところから名づけられたものであり、室町時代から江戸時代にかけて、羽黒山伏が好んで制作したものと伝えられているが、文献的にも実用の上からも確証はない。ただ古来この地方に多くみられることは注目すべきであろう。それも今ではほとんど見られない。
 荘内金工の事実上の展開は、元和8年、酒井左衛門尉忠勝がこの地に入部以来のことであり、荘内金工名譜に見る正阿弥又八郎の記事中、「寛文四年職を以て酒井候に仕う」というのが最も古い記録である。
 正阿弥家は、室町末期の京正阿弥家を正統として一門が全国に広がるが、又八郎は、会津正阿弥派の流れを汲むものである。この一門が後世まで続いている。
 佐藤弥五兵衛珍久は、土屋安親の師であり、岳父でもあり、「荘内奈良風の祖」である。
 安親は、通称を弥五八と云い、老後東雨と号した。元禄16年安親34歳の時、上京して、奈良辰政の門に学び、後には、奈良利寿・杉浦乗意と並んで奈良三作と称せられた。安親の同門に渡辺在哉・安藤宜時があり、一生在国したが、ともに安親の指導と影響を受けている。
 江戸末葉に至って鷲田光時が荘内の抱え工となり、子孫に時季・光親・光中等があって特に平象嵌を得意とした。
 遊楽斎桂野赤文は、文政7年酒井家の抱えとなり、虫・魚・虎などを得意とし、写生風の作に面目を示し、三代文雄は、加納夏雄の門下である。
 この他、熊谷派に義信があり、晩年は鎺の制作に主力をそそいで熊谷鎺の称があり、甲冑師の流れを汲むものに明珍紀宗吉等があって上手である。また「ぶと鐔」と呼ばれる「太」の文字が示すように分厚く、田舎びた鐔があって、元来は佐渡や越前紀内などの影響を受けたものであろうか、幕末には池田一秀一派の刀工の手によって造られている。
 荘内金工の掉尾を飾るものが船田一琴義長である。彼は備前一乗の門に学び、その駿足の一人であるが、師に先立つこと14年文久3年52歳で病没していることは惜しまれる。
 この他種々の鐔工や金工がおるが、それぞれに真面目ではあるが、皆洗練された雅趣に乏しく、いわば民芸的であり、田臭はまぬがれ得ないものである。
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2014/01/07 (Tue)

小林秀雄「芸術随想」より

新年おめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。 
 前に刀剣博物館で鐔の展示を拝見したときに、鐔はもちろんのこと、小林秀雄の鐔の短文のキャプションに興味をもちました。担当者におききしたところ、小林秀雄「芸術随想」からの引用とのこと。
 その本は古本しかないと聞き、ネットで探し、155円、送料等295円計450円で注文、ヤケはあるものの新本同様で、得した気分になりました。
「芸術随想」のなかには、刀剣に関連しては、「古鐔」と「高麗劍」の項がありますが、「高麗劍」の項のごく一部をご紹介します。

我が国の第一級の神話によれば、素盞鳴尊を愛した三人の女性は、彼の十握の劔から生まれた。天照大神が、十握の劔を三段に折り、口中で嚼み砕き、吹き捨てた狭霧のうちから現れ出た。言うまでもなく素盞鳴尊が持っていた一番いい刀は、天叢雲劍であるが、これは名劍であるから、天照大神も折って食べるわけにもいかず、傳世の劍となったが、その保存方を命じられていた倭姫命は、東征途上の日本武尊の心事に同情し、大事な刀をやって了った。相模の野で火攻めに會い、この刀の御蔭で、危難を免れて以来、刀は草薙劍と呼ばれるようになったのは、誰も知るところである。彼は、草を薙ぎながら、ひたすら、想っていたのは弟橘媛の身の上であったが、やがて、彼女は、その事を想って走水の海に投じて彼を救った。ところが、征戦も終わりに近付き、この英雄は、或る女性の許に、迂闊にも大刀を置忘れ、伊吹山に出掛けて死ぬ。
辞世に曰く、
       をとめの 床の邊に 吾が置きし
              劔の大刀 その大刀はや
 刀と女性との関係は、どうも大変深いものらしい。この深い関係を、そのまま刀だけに移して考えてみてもよいだろう。粧いのない刀はない。外装という装飾を持たぬ刀身はない。あたかも、女性が刀身から生まれるように、刀は、われ知らずその飾りを生むのである。それは、刀身という行動が、思想という外装を纏(まと)わざるを得ないようなものではあるまいか。(小林秀雄「芸術随想」高麗劍 昭和38年1月より)
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2013/12/23 (Mon)

新刀工国分

 新刀工国分1、新刀工国分2があります。
序文をみると、
此書 前川宗兵衛可致 一覧候由にて持参す 書本也
いつく(何処)のたれ(誰)可 扣(=控)者也
□あらく(粗)写之置也 見るのみに
用候らは御一覧候也
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とあります。刀工の一覧の本ということです。
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新刀工国分1の表紙には、
山城 大和 摂津 河内 和泉 武蔵 尾張 近江 紀伊 信濃 伊賀 伊勢 相模 参河 常陸
出羽 美濃 上野 駿河 伊予 遠江 土佐 讃岐 阿波 播磨 安芸 備中
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新刀工国分2の表紙には、
肥前 豊後 備前 長門 周防 筑前 越前 加賀 薩摩 越中 肥後 筑後 八幡 出雲 對馬
伯耆 石見 大隅 豊前 但馬 丹波 美作 越後 若狭 日向 伊豆 下総 下野 淡路 国不知
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以上やはり刀工の一覧でした。