2013/03/24 (Sun)

鑑賞会開催

平成25年3月24日午後1時30分鶴岡市松柏会館において平成24年度最後の刀剣鑑賞会を開催しました。
1号刀短刀銘文(表)豊前守清人
2号刀短刀銘文(表)豊前守清人
3号刀短刀銘文(表)清丸
4号刀わきざし銘文(表)作陽幕下士細川正守造刻印
5号刀わきざし銘文(表)無銘(兼延)
6号刀 刀  銘文(表)豊前守清人
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○豊前守藤原清人
 師の刀匠清麿(四谷正宗といわれた天才)の自刃を知るや、神田に住む師の畏友であり、清人が師の如く尊敬していた一代の国学者斎藤昌麿に駆けつけて、後事の処理に当たった。即ち表向きは病死として届け、急遽信州に遺してある一子、長岡梅作を呼び、四谷の宗福寺に葬った。法名を大道義心居士という。そのころ清麿には弟子数名あったが、累のその身に及ばんことを恐れてか、皆師家を出て帰らず、末弟子の清人一人が残った。清人は師の遺した事の一切を処理して、師恩に報いようと固い決意をしたのである。そして清人は清麿の妻子を養い、師の借財返済のため鍛刀を続けた。
 四谷正宗といわれた天才刀匠清麿の末路は惜しまれてならぬが、後事を処するに他に門人もあったが、一人清人が師の刀債を完済したばかりでなく、家事をよく処理して憂いなからしめて、報恩を完うした高潔な所業は、斯界の鑑としてその名を高からしめることになった。(五十嵐善四郎「豊前守藤原清人」)
○清丸
清人の子永四郎の作で、ほとんどその作風は父同様であり、且つ技倆も師父に迫るものがある。珍品である。(豊前守藤原清人p188より)
おそらく造り、鎬高く、鎬幅やや狭く、重ね薄く、小振りで中程はさまで張らず、フクラもさまで枯れない。鍛(きたえ)は細かによくつんだ柾鍛で細かに地沸がつく。刃文は表は小のたれに互の目交じり、足入り、匂口締まりごころとなり、裏はほつれて金筋・砂流し頻りにかかる。帽子は乱込み小丸、先掃きかけ、裏は一段とはげしく鑢目筋違。
○細川正守
 細川仙之助と称し、主税佐正義の嫡子であり、父と同じく作州津山の藩刀工となる。作風は父細川正義と同様の丁字乱であるが、正義や正明ほど、冴えや働きなく、父正義をしのぐような作はまだ見ない。(日本刀講座5新々刀鑑定篇より)水心子正秀ー細川正義ー細川正守
○兼延
志賀関 志賀を主な根拠地として作刀した族を志賀関もしくは山田関という。志賀及び山田は現在の名古屋市北区の志賀町とその近辺の山田町でかつての西春日井郡山田荘であるというが、これとは別に現在の関市の山田を指すとの説もあって意見を異にしている。しかし多くの考え方は前者が支配的である。この派には兼延をはじめ、国次、延次などがいるが、銘鑑では国次、延次、兼延には明応年紀のものが現存することから、この派の系譜は一応国次ー兼延ー延次と構成するのが妥当と思われる。兼延は銘鑑に明応3年紀のものが最も古い作例としてみられ、明応から室町の最末期にかけて数工存在したようである。兼延の作品は、太刀、刀、短刀それぞれ慧眼しているが、姿は太刀と刀は寸法が比較的短く、身幅狭く、重ねのやや薄いものを多くみる。反りは時代がら先ぞりとなるが、概して浅く、中には棒状のものさえみることがある。茎は先をやや絞るくせがあり、これは他の末関にはあまり見ないところであり、地鉄は、一般の未関同様、板目肌立ち流れるものと、杢だって肌目が立ち、かすだって黒ずんだものと2様が見られるが、特に後者は比較的地沸に恵まれたものをみる。刃文は、直刃、互目乱れ、皆焼それぞれをみるが、特に乱れ刃の場合は、末備前を見るがごとき腰開きの互の目乱れに尖り刃と丁字を交えたものをよくみる。この場合はほぼ共通して沸づき、しかも黒ずんで沈むところに特徴が見られる。兼延の作風について「宇多の如し、と古人はいう」と記述したものがあるが、これは地鉄でいえばかすだって黒ずんだ点、刃文でいえばこの沸づきの様相をとらえて、このように表現したものであろう。兼延の銘は極めて特徴的である。特に兼の字は、4画目のタガネが本来でいう6画目の鏨と円弧を描くように結ばれて1曲線で描かれ、大変個性的である。鑢目は、檜垣、鷹の羽、逆鷹の羽とそれぞれあるが、一説に「逆鷹の羽に切った作は二代のようである」とあり、これについては慎重に扱いたい。(「美濃」より 参考書後日 明示)
○鑑賞会の終了後、25年度計画連絡事項について話し合いをもちました。
10月には全国大会があること、宮城支部より鑑賞会のご案内のこと、25年度の鑑賞会の計画については秋田支部などとも連携をとっていくことについて各支部に打診をすることとしました。