2012/09/04 (Tue)

大板山たたら製鉄遺跡が国指定史跡に

月刊文化財に大板山たたら製鉄遺跡(山口県萩市)が史跡指定となった記事がありました。
大板山たたら製鉄遺跡は、江戸時代中期から後期にかけて断続的に操業した製鉄遺跡であり、山口県萩市中心部から東方の内陸部、大井川の支流山ノ口川の最上流域の標高約260mほどの平坦地に所在する。
中国山地では良質に算出される砂鉄を原料とした製鉄業が古くから行われ、江戸時代天秤鞴(てんびんふいご)と呼ぶ大形の送風装置が発明され、永代鑪(えいたいたたら)、高殿鑪(たかどのたたら)と呼ぶ本格的な製鉄業が確立して全国屈指の製鉄産地となった。18世紀にはいり萩藩内では従来の長門系の比較的小規模な生産形態に代わり、石見系の鐵山師による鐵の大量生産を可能とする永代鑪が展開し、長門系による経営も鑪作業は石見の技術者に担われるようになった。
大板山では三旗の操業が知られる。
第1期宝暦年間1751~1764で、大板山で林業を営む阿川六郎兵で、津和野から技術者を迎え約8年間操業した。第二期は文化・文政期の10年間(1812~22)で津和野の原田勘四郎が石見西部の製鉄流派「石州鑪五ヶ所流」の鉄山(鑪場)として操業した。原料の砂鉄は、石見から廻船により奈古浦に搬送後、陸路大板山に駄送され、産鉄は奈古浦から下関に運ばれ、九州方面に販売されたと考えられる。第三期は東石見の鉄山師・高原竹五郎が安政二年(1855)に操業を開始したもので、終業時期は不明であるが慶應元年(1865)ころまで操業していたことは確実である。この間安政3年に萩藩が恵美須ヶ鼻造船所で萩藩最初の様式軍艦丙辰丸を建造するに際して、船材の原料鉄を供給し、文久3年からは産鉄全てが萩藩により買い上げられた。製鉄に使用する燃料炭木は各時期ともに大板山周辺の藩有林から供給されていたと考えられる。(中略)
検出遺構は幕末期と考えられ一部に重複する形で文化文政期とみられる遺構を検出した。本遺跡は山口県内のたたら製鉄遺跡中最大級の規模であり、石見地方の銑鉄製造の銑押(ずくお)しの鑪の特徴をよく示し、18世紀以降に萩藩亡いに展開した石見系鑪場の典型例と評価できる。(中略)
大板山たたら製鉄遺跡は江戸時代中期以降、萩藩内に展開した石見系鑪場の典型例として大規模なものであり、高殿遺構を初めとする生産遺構が良好に遺存している。我が国近世の製鉄業の展開を理解する上で重要なことから、史跡に指定して保護を図るものである。
月刊文化財9月号より抜粋しました。