2016/06/19 (Sun)

土屋竹雨さん

 土屋竹雨は鶴岡市出身、明治20年生まれ、荘内中学から仙台の旧制二高を経て東京帝国大学法科大学政治科を卒業、在学中は岩渓裳川、土居香国に、卒業後は国分青崖、淫栄寶らについて詩を学び、安井朴堂、古城担堂らに文を修め研鑽をつむ。伊那電鉄ついで帝国蓄電池会社に勤務、大正13年大東文化協会に招かれ出版部主任、昭和3年大倉喜七郎の後援で芸文社を創設、雑誌「東華」を主宰して漢詩文活動をすすめる。漢学に長じ漢詩については天与の才を発揮して当代の第一人者といわれた。
また独特の書風と榊原浩逸に学んだ絵とで詩・書・画の一体化を果たした。
 昭和6年大東文化学院講師、昭和10年同教授のち学院総長、昭和24年同学院が新制大学になると昭和24年東京文政大学,昭和26年文政大学と経て昭和28年大東文化大学と3度の改称のなか、昭和33年まで学長を務め、その後名誉総長となる。同年日本芸術院会員に選ばれる。

鶴岡公園に下記詩碑がある。
故国山水
故国山水多清暉(故国山水清暉多し)
曰帰曰帰猶未帰(帰らんといい帰らんといい、猶いまだ帰らず)
一夜夢乗皓鶴背(一夜 夢に 皓鶴の背に乗じて)
遠向明月峯頭飛(遠く明月峯頭に向かって飛ぶ)

佐藤寒山の「土屋竹雨居士を想う」との一文がある。
「土屋久泰竹雨は、私の従兄弟である。座談の上手で、特に興に至っては「泊って行け」ということになるのであるが、学生時代、本間順治兄と私は竹雨の言葉に甘えてごろ寝するという次第であった。全くの田舎者の私もおかげでだんだん人間修業ができてきたわけで、今日いささか人前にでて何かとりえがあるとすれば、それは全く竹雨の薫陶よろしきを得たためであり、酒を愛することを知ったのも竹雨のおかげである。竹雨ははじめは刀剣趣味を通じて鉄硯榊原浩逸翁と交わり文人画の道について教えをこうとは本間順治の話である。土屋家重代の関の兼永の雄刀その他あり、その鑑刀にも観賞の態度にも詩人的な要素が多く、名刀には心から酔ってしまうという風であった」と述べている。
 刀剣にも詳しく、昭和9年から11年にかけて日本刀とその周辺の人・物・歴史をほぼ全てを網羅した戦前の一大著作である雄山閣「日本刀講座」全24巻が刊行されたが、その補遺編として刊行された中に、「刀剣に関する支那文献一般」土屋竹雨として、高名な日本刀歌を含む、刀剣に関する伝説、詩賦、古籍を著しておさめられている。(敬略)

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