2011/10/24 (Mon)

日常につかわれている刀剣用語

「反りが合わぬ」
 日常交友する社会人の中にも、また毎日をともにする夫婦、親子、兄弟の中にもどうしても気分のうまく合わなぬものがある。「反りが合わぬ」という。刀の反りは厳密には一本一本みな異なる。従って刀の鞘はみなそれぞれに違うもので、その刀の鞘は他の鞘には決しておさまらぬものである。それは主として反りが違うからである。ピタリとゆかぬことがすなわち反りが合わぬということである。

「鞘あて」
今日では一般に、仲たがいをする、悪感情を持ってにらみ合うことに用いている。他人の刀の鞘に自分の刀の鞘をあてることは非常に無礼なことであり、なにか遺恨があったり、喧嘩を売るときには故意に鞘当てをした。恥辱を受けてははらすのが武士道だった。

「身から出た錆」
刀の錆にもいろいろ原因があって、鞘に一部分がぶつかって出る錆はやむを得ないとして、刀自身の鍛え方の粗雑さや一度出た錆の取り方が悪かったために出る錆は身から出た錆である。悔いても嘆いてもいたしかたない。

「もとの鞘におさまった」
今日では一般に、仲たがいをする、悪感情を持ってにらみ合うことに用いている。他人の刀の鞘に自分の刀の鞘をあてることは非常に無礼なことであり、なにか遺恨があったり、喧嘩を売るときには故意に鞘当てをした。恥辱を受けてははらすのが武士道だった。

「つけ焼き刃」
人は誰でも利口に、えらくみせたい本能がある。身に付いた学問や修業から自然に発生するものであれば立派であるが、まだ本当に自分のものになっていない、インスタントなものがすなわち「付け焼き刃」である。刀の焼刃は、素延べ(刀鍛冶が刀の形なりに鉄を延べていく作業)をして刀の格好にととのったものに土取りという作業をほどこす。これは焼刃土と称する耐火粘土性のどろを刀身一面に塗り、さらに刃になる部分だけを薄くどろをぬぐいさるものである。刀の刃文はこの土取りによってできるものでその刀鍛冶の得意とするところを、土取りによってえがきだすものである。そしてこの土が乾いたときに炉にいれて焼き、ほどよいところで取り上げて水にいれる。これを焼き入れという。焼き入れした刃は決して消えてしまうようなことがないが、この作業を経ないで、単に文様を研ぎや薬品を用いて刃文みせかけたものはすぐはげてしまう。

「切羽つまる」
 切羽は鐔(つば)の表裏にかけるもの、これがしっかりつまって刀身がぐらぐら動かないようになっていなくては刀は役にたたない。刀装の方では切羽のつまることが必要であるが、これが言葉として身動きならぬ、動きがとれぬという意に使われているのも面白い。

「地がねが出る」
刀の鍛え方は、表面に硬い鋼を用い、中に軟らかい包丁鉄を入れる。これはよく切れて、折れたり曲がったりしないようにとの工夫である。硬さと柔軟性との両用を完全にするために、日本刀は表面を硬くして内部が柔らかである。この表面の硬い鋼が皮がね、内部の軟らかいところが、心がねである。皮がねが、研ぎ減って下から、心がねが、でてきたものを「地がねがでた」という。表面だけつくろっていたものがはげて、みにくい本当のものが出てくることに用いているのも面白い。

「鎬を削る」
鎬は、鎬造りと呼ばれる刀の造り込みにあるもので、刃と棟との中間にある稜 線のことである。刀を合わせた場合、これを巧みに利用して相手の打ち込んでくる刀を受け流したりすり上げたりして凌ぐのである。この凌ぎを互いに巧みに用いて雌雄を争うことが鎬を削るということであり、事実この稜線が削り落とされることがあったかも知れない。

「ふところがたな」
おおきな事業を成就するためには、政治家でも実業家でも参謀や協力者が必要でそれをふところがたなという。「懐刀」「懐剣」とかの文字を用いるが刀、太刀と は別に懐中深く隠し持って、外にはあらわさず、いざというときの用に供するものである。男子女子問わず常に懐にするものである。

「目貫通り」
 これは最も大切な重要な街道であり、場所でもあるとの意である。目貫は刀の柄 の表裏に据えるものであり、柄を握った場合手の中にぴたりとおさまるようにするものであり使う場合に最も大切なものである。しかも刀の飾りとしても最も目 につきやすいところにすえられているものであり、拵えとして必要欠くべからざるものである。

「焼きが戻る」
「焼き直し」
「焼きをいれる」
「抜き差しならない」
「抜き打ち」
「切っても切れない仲」
「なまくらもの」
「鎺(はばき)ぬぎ」



 佐藤寒山著「刀剣物語」より