2011/10/24 (Mon)

庄内に伝わる古刀期の名刀展によせて

 日本美術刀剣保存協会庄内支部は毎年致道博物館と共催で日本名刀展シリーズを開催してきた。今年は信州松代から酒井家3代忠勝が庄内に入部して380年を記念して「庄内に伝わる古刀期の名刀」展を催している。古刀期というのは刀では室町時代を境にしてそれ以前を古刀、以後を新刀と区別している。今回の展示は古刀期の名刀31振りである。
 一般に刀というと他の美術品とは異なり、切れもの(武器)であることから一般には縁遠い美術品のようであるが、日本独特の鉄の芸術である。太刀と刀はどう違うのかとよく質問されることがある。太刀は刃を下にして腰に下げる、佩(はく)く、刀は刃を上にして腰に差すものである。太刀は2尺以上平安中期に始まり室町初期に及ぶ。刀は同じく2尺以上、室町にいたって太刀が廃れ、打刀(うちがたな)となり、腰に刃を上にして差して右手で抜くと同時にその勢いで切る、いわゆる抜き打ちになる。刃を下に腰に佩く太刀、刃を上に腰に差す刀、いずれも作者銘は外側になり、これが太刀銘と刀銘のちがいとなる。1尺以上2尺未満の「脇差」、これは桃山江戸時代、刀の添差とし、江戸時代大小2本差の小である。「短刀」は1尺未満のもの、このほか、薙刀(なぎなた)を刀にした「長巻直し」がある。
 刀では、形といわず姿というが、鑑賞の上から一番大事なのは、姿を見ることである。刀には反りがあり、一本として同じ反りの刀はなく百振り百葉、「元の鞘に収まる」という言葉がある。刀を遠くからまず見渡すと、姿の美しさが一振り一振りの鑑賞とはまたちがった美しさになって心うつ。
 3、4年前に上野の国立博物館で日本の刀の大展覧会があった。一室に南北朝期の刀が20振り近くずらりと陳列されているのを遠くから見たとき、私はあらためて刀剣の姿の美を感じた。その経験から刀の鑑賞は一振り一振り、細かに刃文だ、地鉄だと鑑賞するのも大事だが、名刀を「いい刀だな!」と魅せられて大きく魅入る鑑賞も大事だと思う。
 さて現在国宝の刀は122振りあるとか、今回展示されているなかに、国宝の太刀、信房と実光の2振りがある。徳川家康と豊臣秀吉が戦った小牧山の合戦の時の酒井忠次の戦功に対して家康から贈られた太刀と当時の拵えで、平安時代に活躍した刀匠、古備前の信房作、細身ですこぶる優美な姿、古香の赴の地刃である。信房にくらべ身幅広く豪壮な姿の国宝 太刀実光と当時の糸巻太刀拵えがある。織田信長が武田勝頼を滅ぼした天正10年、富士山見物に駿河に旅し、浜松城に止宿、忠次が御馳走奉行となって信長を歓待した。さらに翌日、信長は忠次の居城吉田城(現豊橋市)に泊まった。忠次は心から饗応したので、信長から備前長船の刀匠長光の門下、実光の太刀と黄金200両を賜ったといういわれがある。
 奥州に平安から鎌倉期にかけて多くの刀工が存在したと伝えられているが、現存するものは鎌倉時代以後の陸奥国宝寿と舞草、南北朝以後の出羽国月山一類を見るのみである。宝寿は鎌倉末、区際(まちぎわ)を小さく焼き落とすなどが見どころである。つづいて出羽三山神社からご出品いただいた月山の太刀(重要美術品)、刀 月山国兼作(鶴岡市指定文化財)、もう一振りは鶴岡市指定文化財の刀 正信である。月山を銘する刀工は平安時代からあった。現存する最古の月山作は展示している重要美術品の太刀、南北朝と鑑せらるものである。特色として綾杉肌、地肌が綾杉模様にできていることが多い。月山派の刃文は直刃(すぐは)仕立てであるが、綾杉につれて、小乱れのものもある。
 今回は鳥海山大物忌神社の御太刀が40年ぶりに出品されている。その3尺1寸長大な太刀は九州筑後三池の平安から鎌倉にかけての名工・典太光世作と伝えられ、社伝によると八幡太郎の寄進という。
 正宗・江義弘とともに天下三作の筆と称された短刀の名手・吉光、重要文化財短刀信濃藤四郎吉光は、名物帳にある名品で、その押型も展示されている佐藤寒山先生の寒山押型集第4巻のなかにある。 押型は最も技術を要することと、刀剣またその刀匠の特色などよく知ってわがものになっていなければ刀の刃文通りにうつすことができない。刀の姿をうつし、それに刃文を写生するわけだが、素人がうつすと、1,2寸のところで現物と合わない押型になってしまう。寒山先生がうつしとられた4巻は、生涯見てこられた名刀の数々、精魂こめた押型集である。よくもここまで細かにうつしとられたものと敬意をもって拝見した。
 そして、敗戦当時、酒田ご出身の本間薫山、鶴岡ご出身の佐藤寒山両先生が日本美術刀剣の保存を米軍に生命かけて折衝されたことで日本刀全部没収の危機を救われた、その功を思い、深く敬意と謝意を表する次第である。  
 酒井忠明(荘内支部顧問)・平成4年(2002)5月26日付荘内日報掲載掲載記事より