2012/01/29 (Sun)

名刀「袖の雪」奇聞

昭和55年の致道博物館館報に「あなたは信じる?名刀袖の雪奇聞」と題して次のとおり掲載されています。

日本美術刀剣保存協会庄内支部結成30周年ということで「庄内ゆかりの名刀をふくむ名刀展」を4月18日から2週間公開した。庄内ゆかりの名刀というのは、昔庄内にあった刀、あるいは酒井家に伝来した刀等で、この他国宝、重文、重刀30余振が出品された。
 さてこうして記録にのこすことになった一件が始まったのは展覧会が開かれて5日目の4月23日の夜からである。名刀展等の重要な展覧会の時は当直を1名増員し、男子職員が交代で展示場の建物内に泊まることにしている。 この夜は犬塚学芸員の番であった。静寂を破って展覧会場の防犯ブザーが鳴り出した。12時30分頃である。驚いて直ちに展覧会場に駆け上がって確かめると別に異常がない。ブザーの故障だろうと気にとめず、その夜はすぎた。
 翌朝次の当直者にそのことを申し継いだ。この警報器は超短波がでているものでそれをなにかが遮るとブザーが室内と室外に鳴るようになっているのである。しかしこの夜の場合は室内しか鳴らなかった。
 さて翌日の23日の夜は酒井英学芸員である。もちろん前夜は何かの関係でブザーが鳴ったものとして気にとめず当直にあたったわけであるし、ブザーが鳴ることはあるまいと思っていただろう。ところが同じ時刻、即ち12時30分頃、また鳴りだした。行ってみると別に異常はない。前夜と同じことくらいに考えた。
 ところが次の日も、また次の日も同じ時刻頃に鳴りだすのである。こうなってはどうもおかしい。そこで展示品の中にある名刀のことに誰かが気がついた。その名刀というのは「袖の雪」と号がある備前助次の太刀のことである。この太刀はもと菅実秀の愛刀で、明治28年酒井忠次300年祭の折、酒井家に献上したものであるが、白鞘を黒漆で塗り、そのうえに金字で下記のとおり由緒が書かれている。
「天正三乙亥年五月二十日子ノ下刻武田兵庫頭信実討死ノ刻三州名倉住奥平喜八郎信光得之」
 子の下刻といえば、12時から1時までの時刻である。即ち毎夜12時30分頃にブザーが鳴り出すということは武田信実の怨霊の出現ではないか、討ち死にだけならそんなことは無いかもしれないが、奥平信光が太刀をぶんどったというからその怨みであろう。しかもその隣には、奥平とともに武田方に攻め入った酒井忠次の佩刀国宝真光があるということで、29日の夜にこの太刀だけ閉館後に保管庫に引き上げてみた。
 その夜は酒井学芸員の当直であったが、館長もわざわざ11時過ぎから12時30分まで一緒に様子を見に来ていたが、この夜に限ってブザーは鳴らなかったのである。それでいよいよ武田信実の怨霊出現説が強まり、現代の科学では解明できないなにかがあるということになり、翌朝太刀を供養するお経をあげてもらったという次第である。 尚この太刀は展覧会に出品したのが今回が全く初めてであるという。

その後日談として、昭和60年創立35周年を記念して特別展「徳川四天王展」を6月4日から6月28日まで開催しました。その時またしても警報器が鳴り出しました。その時刻に心霊者がきて、そして子供さんもきて興味津々、霊がのりうつるから子供は近づけるなといわれたりしたそうで、その後懇ろに供養しました。一部新聞、雑誌にも載ったそうです。
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