2012/01/30 (Mon)

日本刀名物によせて

「名物」
 昔から茶碗、茶入、釜など諸器諸道具、刀剣に「名物」というものがあった。「名物」はそのもの自体が名品であることは勿論であるが、それにその器物、刀剣を所持愛用した人物とか、由来来歴によってそのものの価値が一層高められ、異名をもって後世に伝えられたものである。
 刀剣においては、鎌倉時代末に書写された「観智院本銘盡」という刀剣書に、源義家が前9年の役で捕虜の首を髭(ひげ)もろともに切り落としたという「髭切りの太刀」(源氏重代)や、午睡中の平忠盛を一呑みにしようとした大蛇を、太刀がするすると鞘から抜け出して追い払ったという「抜丸の太刀」など名物としてあげられている。
 また室町時代の名刀物語である「剣の巻」には、桓武天皇が南殿に立っておられた時、一羽の烏が飛んできて帝の前にひざまずき、伊勢神宮の御使いであると言上して飛び立ったそのあとに1本の太刀がおかれていた。改めてみると、希代の名刀である。そこで天皇は「小烏丸」と名付けられ、天下守護の宝刀とされたという、小烏丸の伝来が記してある。この太刀は天慶の乱の時、平将門を討伐にむかう平将軍貞盛に賜り、以後平家重代の宝刀となった。
 以上の如く源平時代から鎌倉、室町と各時代にわたって有名な武将の許には由緒来歴のある名刀が伝わった。中には不慮の出来事で失われたものもあるかわりに、新たに名物となった刀剣もあって、桃山時代には名物は相当な数になった。
「名物牒」
 古来の刀の名物を集めて書き上げたものに「名物牒」というのがある。
 8代将軍吉宗は江戸幕府中興の英主であった。元禄という派手な世代の後をうけて、吉宗は政治の引き締め、建て直しに努力した。紀州家出の吉宗は、田舎気質の堅実な性格によりその事を成功させ、江戸幕府後半百五十年の礎をかためた。
吉宗は享保元年将軍になると第一に、開幕以来の諸事の整理に手をつけたが、武事については、酒井忠挙に命じ、諸家の蔵する武器武具及び諸藩の刀工の実態を調査報告させ、一方本阿弥光忠に命じ、名刀とその由緒書き上げさせた。
 光忠は手許の資料をもとに、不審な点は所持者に問い合わせたりして、名物名刀のリストを作り、享保四年に完成し献上した。これが享保時代における名物名刀の実態であり、名物調査では最後のもので、しかも公的な決定版だったのである。
 これを「享保名物牒」と称する。名物牒所載の名物は168口、焼身となったもの80口、享保時代7口は所在不明、其の後50口余は大震災や戦災で焼けたり不明となってしまい、現在は100口余である。名物牒は正本と副本とがあった。正本は将軍家所蔵のものから書き出している。これは将軍の命によって書き上げたもの故、将軍家に対する配慮であろう。しかし、正・副ともに原書は行方不明で、転写本が伝わっている。
「名物の異名」
 名物には、それぞれ異名がある。その異名はどのようなものかというと、最も多いのは所持者の名をとった異名である。たとえば名物「信濃藤四郎」と称する短刀は、淀の城主永井信濃守が所持していたことからの名称である。
 次には刀剣の造込み、作風、彫り物、銘などの特徴からつけられた異名で「二筋樋貞宗」など表裏に二筋の樋があることからの名であり、「乱光包」などは作風からの名である。その次には、その刀剣を入手した場所、地名をとった異名。それについでは刀の切れ味のよさからつけられた異名である。
 何と言っても刀剣の場合、この切れ味によってつけられた異名が面白く、そして無邪気である。その2,3の例をあげれば、「見返り元重」という太刀、これは酒井家の名物としてこの度も出品してあるが、昔ある人が此の太刀で人を斬ったところ斬られた人間が後をふりむいた時、見返った時にパカンと二つに割れた・・・というのである。そこで見返りという名がついたと、その由緒来歴が茎(なかご)に金象嵌で記してある。
 これに似たようなもので、小早川隆景の養子季秋の「波游兼光」(なみおよぎかねみつ)という愛刀は、川端で逃げてゆく者を斬ったところ、游いで向かいの岸についてから二つに割れてたおれたというので命名された刀である。
 また美濃国関の刀工孫六兼元の刀に「二念仏」というのがある。これはこの刀で人を斬ったところ「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と二度念仏をとなえてばったり二つになったというのである。今回の出品刀の中にも切れ味に依った名物があるが、何れも誇張であろうが誠に面白く無邪気である。
 この他「道芝の露」「篠霰」(しのあられ)「笹の雪」「袖の雪」などという名があるが、これらはさわればおちるという謎である。「そこぬけびしゃく」というのもあるそうだし、芝居の佐野治郎右エ門が狂乱のすえ吉原で百人切りをするその刀は「かごつるべ」という名の刀だそうだ。何れも水もたまらぬという洒落である。
 謎や洒落とは別に、最大の傑作、偉大な作というのに「一期一振藤四郎」(いちごひとふりとうしろう)という太刀がある。藤四郎吉光の太刀で吉光は短刀が得意で太刀の作は少ないものであるが、この太刀は2尺8寸余の大作一期一振~一生ただ一振りの傑作という太刀であって、室町将軍以来の名物であった。不幸にして大坂落城の時焼失し再刃されて現在は御物となっている太刀である。
(「日本刀名物展」1970・4・28~5・11 主催:致道博物館・共催:庄内支部の解説より)