2012/02/03 (Fri)

匂う日本刀

 今、致道博物館で庄内にゆかりの刀の展覧会をやっております。刀というと皆さん敬遠なさるようですが、刀の美しさというもの、刀の美というものをご覧いただくとお解りだと思います。
 終戦の時、アメリカが一番おそれたのが日本の日本刀という武器だったそうです。それで進駐して来た時に真っ先に、およそ日本刀と名前のつくものは、皆没収だということになったわけです。ですからどんな名刀でもアメリカにすると皆武器、恐ろしい武器だということだったわけです。もしそれが実現したならば、日本に名刀なんていうものは一本も無くなってしまったと思います。
 佐藤貫一先生という方、ご存知の方もおられるかと思いますが、鶴岡出身の先生です。それからもう一人酒田の本間家のご出身で本間順治先生、このお二人が近代の刀剣の大権威でございました。
 そのお二人が、いろいろ刀のことを研究されておられてましたが、このままでは日本刀が全滅だ、皆無くなってしまう、名刀も何も無くなってしまうということで、どうにかアメリカに請願する方法がないだろうかといろいろ話をすすめられたのですが、どこに話したら解決できるか分からなかったのです。
 でも第八軍の憲兵司令官キャドウェルという大佐だったと思いますが、その人はよく話がわかる人だということで何度も何度も足を運んで、話を交わしました。日本刀は武器だけではなく、いわゆる美術品、古美術、鉄の美術だ、とにかく名刀というものは是非とも残したいといったところ、その人がいろいろ考えたそうです。「もし日本の名刀を残したいと思うなら、アメリカ人に頼ってはだめだ、自分達で保存協会みたいな組織をつくってあなた方自身で守りなさい。」ということをいわれたそうです。それで日本美術刀剣保存協会ができたのが、昭和二二年か昭和二三年だったと思います。
 現在刀の数は国宝で115振、そのうち2振が鶴岡致道博物館にあります。刀の数はいったい何振あるのだろうと美術刀剣保存協会の調べでは、215万振だそうです。考えてみますと、佐藤貫一、本間順治のお二人が頑張ってくださってその保存ができたのです。
 さて日本刀についていえば、まず第一に言葉が違います。刀の格好、形といわないで、姿といいます。古い刀ほど姿がいいですね。元巾が広く、先にいってスーと細くなった非常に形がいい、あの曲がりはどこからでるのだろうと思うように姿がすばらしいです。ご存知でしょうが、硬い鉄と柔らかい鉄を合わせていわゆる百練の鍛錬をするわけです。鍛冶場でトンテンカンとやるわけです。そしてもっとも硬い鉄をつくりあげ、それを延ばして刀にするのです。匂いできと沸えできという言葉があります。刀を鍛えるとき、目にみえるようなブツブツした粒子を沸えといい、ほとんどブツブツがみえず、白くボーとみえるのを匂いという刀の用語があり、なにも匂いするわけではないんですよ。
 面白い話がありまして、致道博物館創立まもなくだったと思います。庄内・本盾の鳥海山大物忌神社に奉納刀がありまして、長さ4尺、その刀が1回盗まれたことがあり、後で出てきましたけれども、実戦に使うのではなく、神社に奉納する刀だったのです。
 その奉納刀の三池の典太という九州の刀を致道博物館が拝借し陳列しました。返却の時に神社の総代と何人かのお迎えがあり、庄内支部の氏家さんが「重いですよ4尺の刀ですから」といってお返ししたところ、受け取った人が大変面白い人で、「ハア、この匂い」といったのです。なにも匂いなんかするじゃありませんが、いかにも・・・匂いが出るような・・・こちらはおかしくておかしくて、しかしあまり真面目なもので笑うわけにもいきませんでした。
 その刀が盗まれたんですね。後の話ですが、盗んだ人が奇妙な糸で天井からぶら下げてその下に毎晩寝ておったのです。もし神様がこの刀を盗んだことを悪いとするならばその糸が切れて自分にぶすっと刺さると思って試してみたという。3日間過ごしたが幸い落ちてこなかった。そういう変な盗人の話がありました。
 鶴岡市温海の刀工藤原清人は、四谷正宗と称された幕末の名工源清麿について2年間修行しました。その清人の刀をコンプトンさんというアメリカの大日本刀収集家が持っておりました。そのコンプトンさんには400振の刀があったそうです。コンプトンさんはなくなられましたが、自家用飛行機で鶴岡にも2,3度 庄内にこられました。刀の非常に分かる人で日本人以上に刀を見る礼儀作法を心得ている人でした。巡り巡って明治天皇に献上した清人の刀がコンプトンさんにありました。その清人の脇差で名前があるところに面白い文章が書いてあるのがあります。源の清麿という名人と称された人について習ったが、どうしても名人のように打てなかったということからその嘆きを打ってあるわけです。「名人と似たるところ二つあり、酒のみと銭なしと」とっても素晴らしく正直な人柄がわかります。一生懸命、師匠に習って勉強したがどうしても名人のようにならない、わずか名人に似ているところは、酒を飲むことと銭のないこと、どうも刀は名人に及ばない、そういう気持ちを表した銘です。これは清人の碑として建てるべきだというわけで、温海温泉の熊野神社の境内にその碑が建っています。
平成8年8月 酒井忠明(初代支部長・故人・ロータリークラブスピーチ)